『論語と算盤』 渋沢栄一
【はじめに】
まず私は「論語」には馴染みがなく、「渋沢栄一」すらも、幕末から明治にかけて活躍した実業家、くらいの知識しかない。
しかし「算盤」と聞くと、会計士の卵としてはなんだか読まずにはいられないので、この『論語と算盤』を買って読んでみた。
【感想】
100年前(1915年頃)の本なので、若干の読みにくさはあるが、全体的に学ぶべき点が多々あり良い本だったと思う。
渋沢は実業家として有名だが、かつては大蔵省で働いており、西欧式の簿記法は彼が総務局長時代に日本に取り入れたものだそうだ…。
ちなみに、この簿記導入の際の逸話で、伝票の処理か何か(本では詳しくは書かれていない)をミスった部下がいて、そのミスを渋沢がたまたま見つけて指摘したところ、「西洋かぶれが。こんな制度を導入したお前が悪い」と渋沢に逆切れして殴りかかってきたらしい。
幕末の動乱を生きた、明治時代の官僚はさすがにアグレッシブ。ちなみにこの部下は、これが原因でクビになったそうです。
余談はさておき、
渋沢は当時、自己の利益のみを追求する社会的な風潮が気になっていたようで、人として必要な倫理観や道徳心が日本から失われつつあり、それらの教養を身につけるための教科書的存在を、孔子が解いた『論語』に求めていたようだ。
その教えはまとめるとこうだ。
・己の利益のみを追求するのではなく、道義に則った商売するべき。
・己が稼いだ利益はその国を利用して稼がせてもらったものなので、私腹を肥やすことばかり考えるのではなく、社会に還元するべき。
つまり、社会貢献しろってことですね。
かつては孔子を生んだ中国(文中では支那)は、日清戦争後に弱体化し、欧州列強に食い物にされた挙句、1911年頃、辛亥革命で清が滅亡します。
どんなに優秀な人材が過去にいたとしても、先人の教えや過去の歴史からの教訓を忘れ、己が利益の追求にのみ邁進するようでは、やがてその国は衰退し滅びるのを、横目で見て感じていたのかもしれない。
日本はそうした末路を辿る前に開国したから良かったものの、明治以降の学校教育は、知識の詰め込みになったという。そのため、若者にとっては何のために学問をするのか分からなくなっており、人として持つべき仁義・道徳の学習がもっと必要ではないかと、渋沢の目には映っていたようである。
現代では、企業のモラルやらSDGsやら何やらと社会への貢献を求められているが、個人で社会貢献まで考えるような余裕のある人は多くなく、自分や家族が暮らしていくのに精一杯になりがちではないか。
少なくとも自分はそんな感じなので、反省すべき点かと思う。
この本では、論語に造詣の深かった徳川家康の教えも引用されており、個人的にはこちらの方が心に響いた。
曰く、
「人の一生は重荷を背負って遠き道を行くが如し」
「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」
「不自由を常と思えば不足なし、心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし」
かっこいい。これぞ苦労人・家康って感じがする。
あまり我慢しすぎて潰れてしまうのも良くないが、情報ばかりが溢れかえった結果、余裕を失って敏感になりがちな今の世の中においては、「多くを求めない」心の余裕が必要だと思う。