自由になりたい

てか、自由っていったいなんだい

【思い出ボロボロ】公務員になるまで

自分にとって人生の節目を迎える時期なので、今回は自分の過去を振り返ります。

題して「思い出ボロボロ」です。

 

 

適当な人生

大学時代までの自分は、特にしたいことがないまま大人になってしまった、子供みたいな人間でした。小さい頃から勉強もスポーツもそれなりにできてはいましたが、「将来これになりたい」と夢中になるようなものはありませんでした。

私の父は自営業でしたので、土日も関係なく毎日働いていましたが、どこか自由に生きているように感じていました。父はお酒もギャンブルも全くしない人です。子供目線から見ても、ストレスを溜めているような感じはしませんでした。おそらく、父はのんびりとした性格だからだと思います。

そんな訳で、ドラマやアニメとかに出てくるような、人に頭を下げまくったり、飲み会で愚痴を吐き散らかしたりする「サラリーマン」という人種がこの世にいることを、頭では理解できていても、心では理解できていませんでした。日本では大体の人がどこかの企業に勤めて、一生をサラリーマンで終えるのかなと思いますが、自分は父のように自由に生きたいと思っていたいので、サラリーマンになる気なんてなく、もっと言えば高校や大学にいく気すらなかったのです。

ですが、特にしたいことがなかったので、それならもうちょっと遊びたいなと思って、受験勉強もそこそこに、都内の大学に進学したのでした。

そして恐ろしいことに、気づいたら就活シーズンを迎えていました。

 

上手くいかない就活

それなりに文章を書くことはできたため(当時は)、書類は通って面接に一応進むのですが、どうしても働きたくないと思っていたため、面接対策が手抜きとなりました。

また、その会社になんの興味がないという本心が、そのまま顔に表現される人間だったことも災いしたと思います。「こんなとこで働きたくねぇ(御社が第一志望です)」って感じです。

大学4年の4月ごろになると、周りの友人たちも大体内定をもらっていて、苦戦しているのは自分1人のような状況に。この時は、自分が内定を貰えない原因が分からず、自信をどんどん失っていきました。今まで周りと同じように普通に生きて来たのに、この差はなんだろうと。

振り返ると、学生時代は毎日バイトか友達と飲むだけの日々でした。

バイトはバーで働いていたので昼夜が逆転し、夜明けに家に帰ってきて昼まで寝て、夜は飲みにいくか友達と家でゲームするみたいな生活です。

人にアピールできるような「学生時代に力を入れたこと」なんてものは特になく、適当に就活本みたいなのを読んで、「私は潤滑油です」みたいなアピールしかできていませんでした。今思えば、自分の個性や強みなんて分かっていなかったし、表現できていなかったのです。

 

公務員試験へ

ようやく、ここで自分の将来を考えました。

これといった特技はないけれど、お金に囚われるような生き方はしたくない。どうせお金をもらって働くなら、人のためになるような仕事をしたい。特技がないから、何か専門性を身に付けたい。

その時に考えて出てきたのが、公務員の国税専門官と国家2種(今の一般職)でした。国税はまさに税のスペシャリストだし、国家2種についても1種のようなゼネラリストと違って出世競争とかプレッシャーとか考えずに、専門知識を身につけていけそうだと思ったのです。

また、公務員になるには、まず勉強して試験に受かってから面接を受けるわけだから、選考が面接のみの民間企業への就職と違って、合否の理由が分かりやすいし、自分の性に合っていると感じたのです。

結果、大学4年の12月くらいから勉強を開始して、翌年の6月頃の筆記に合格しました。4月から6月までは毎日12時間くらい勉強したと記憶しています。食べるものはカロリーメイトと缶コーヒーで、空腹になるとタバコでした。この期間で体重は10キロくらい落ちました。

無事、筆記に受かると、次は面接を受けるために霞ヶ関官庁訪問を行います(要は、行きたい省庁の玄関に行って面接を受けさせてもらう行動です)。私が受けた2010年当時は、確か7月に官庁訪問があったと記憶しているのですが、縁があってとある省庁から内定をもらうことができました。

この時は、自分の人生でも結構苦労した時期でした。

当時23歳くらいだったので、まだ人生どうとでもなる時期ではあるのですが、当時は「後がない」と感じていましたね。

 

そっから公務員としては10年近く働くことになりますが、今日はここまでにします。